遙かなる大

思うがままに投稿しています。

義父さんの遺産 其の弌

皆さんどうお過ごしですか?師走(12月)になりました。

季節は移り変わります。時は、不変的に時間を刻みます。しかしながら、

師走が忙しいと感じるのは「なぜか?」

 

「師走が忙しいと感じるのは、人の心理的な要因が大きいと思います。

師走は一年の終わりであり、新しい年の始まりでもあります。

そのため、人は自分の一年を振り返り、達成したことや未達成のこと、

感謝したいことや反省したいことなどを思い出します。

また、人は新しい年に向けて、目標や計画、希望や夢などを立てます。

これらのことは、人にとって意味のあることですが、

同時にストレスやプレッシャーにもなります。師走は、人が自分の人生について

深く考える月なので、忙しいと感じるのでしょう 。」by ChatGPT

 

だそうです。

 

さて、話を戻します。義父さんが亡くなって8年になります。

訳あって残された、義母さん(ばあちゃん)の面倒を女房が見ています。

ばあちゃんの家の庭に遺産があります。生前の義父さんは、勤勉で孫たちを

可愛がっていました。休日は、庭木を育て、日曜大工が趣味な人でした。

しかし、樹木は生き物です。毎日、手入れをしなくなった途端に

庭木たちは厄介者になってしまいます。

樹木は無秩序に育ったり、なかには枯れてしまう物もあります。

私も時間をみつけては、お隣さんとの境界線に生えている庭木を伐採したりして

どうにか迷惑をかけない程度に手入れをしてきました。

また、2年に1度ぐらいは植木屋さんに剪定をして頂いていますが、

義父さんが気に入ってた、門構えの松が枯れてしまい伐採をすることになりました。

「これを機に庭木をすべて伐採してもらう?」と女房に相談された私は

「枯れてしまった松は伐採して、あとの庭木は剪定してもらえば?」

「私たちが、元気なうちはなんとかなるよ」と言いい、

女房が「お父さん、松が好きだったものね」と返して来ました。

そうです。遺産とは庭木のことです。

先程も述べましたが厄介者の樹木も生きています。

さらに義父さんが気に入っている庭木を伐採することに

私たち夫婦は何か抵抗を感じてしまいます。

枯れた門構えの松

厄介者の庭木



皆さんも、そのようなことはありませんか?。思い出の品や記念のものとか、

また使うかもしれないと思い残しておいた数々のもの。

当の本人にとっては、大切なものが他の人からみると不要だったりします。

私たち夫婦にとって庭木は手に負えない厄介者になってしまったのです。

以前「物を捨てられないばあちゃんの代償」を記事にしました。

このようなことが多々あります。

今回の記事で「義父さん遺産其の弌」としたのもそのせいです。

まだまだ、遺産はあります。いつか記事にしたいとも思います。

今回の出来事は、私たち夫婦に教訓となりました。

子供達や孫たちに「遺産」を残さないための準備を始めたいと思っている次第です。

 

今回の記事、皆さんはどう思いますか?。

ご意見、コメントなど頂ければ幸いです。